文芸ヌー

生活に負担の少ないブンガクを。 文芸ヌー

先攻ロックンロール(坂上田村麻呂の従兄弟)

先に音を鳴らした方が勝ち。そんな勝負に勝ちようがない。


僕のバンド生命は実に短かった。いや、僕が特別というわけではなく、どのバンドも売れないのが普通。

売れない原因は単純だ。新しい曲を作れないから。

曲を作る才能がないという意味ではない。どんなに曲を作っても、盗作チェックが、過去に存在する類似の曲を見つけてくる。故に「新しい」曲は作れない。

僕らはいつだって二番煎じになる。


数学の世界で、ディリクレの鳩の巣原理というものがある。巣の数より多い鳩がいれば、ある巣には鳩が被って入ってしまうという、ことわり。

曲のワンフレーズなんて、限られたテンポと音の組み合わせによってできているものに過ぎない。その限られた個数しかないフレーズの巣に、たくさんの音楽家の鳩が入ろうとすれば、どこかのフレーズが被ってしまう。

特に問題なのは、歴史が進んで音楽に携わる人間が増えても、テンポと音の組み合わせ自体は増えることがないこと。

時間が経っても鳩の巣は増えないのだから、後から巣に入ろうとする鳩は必然的に他の鳩と被りやすくなる。

後からやってきた鳩ほど不利なのだ。


高村光太郎は『僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる』と言った。

しかし目の前に誰かの通った跡しか残されていない場合、どうしろって言うのだろう。進むスペースなんてないのだから。教えてくれ光太郎。

僕の前には誰かの道しかない。誰かの後ろに僕は立たされている。


革新的なものを生み出そうと、大それたことをやってみるという方法は一応残されているのかもしれないが、大抵は「奇をてらっている」と捉えられて失敗する。

ジョン・ミルトン・ケージという音楽家は音符のない曲を作ったというが、それを音楽プレイヤーに入れて聴くような人はいない。

白紙の読書感想文を提出して「なにも感じなかったことが感想だ」と学校の先生に訴えても、再提出を言い渡された上に、追加の宿題まで課せられるのがオチだろう。

逆転の発想なんて存在しない。異端者と扱われて終わりだ。


ああ、先人を恨む。

自由帳に伸び伸びと落書きできる快感はいかほどだったのだろう。

少しくらい余白を残してくれても良いものなのに。


同じスタートラインに立たずして、早いもの勝ちって。本当にずるい。