文芸ヌー

生活に負担の少ないブンガクを。 文芸ヌー

56,57/101(xissa)


海の上風ばかり



風の強い島に生まれて凧を飛ばしながら育った。兄弟は6人いて、上から2、3番めが奉公に出ることになった。ていのいい口減らしだ。三男の私の行き先は人形町の饅頭屋だった。

生まれて初めて乗った船は夜行船だった。父に見送られて10時過ぎの船に乗り込んだ。船着場のあかりが見えなくなり、途端におそろしくなった。飛び込んだら島に帰れるかと一瞬思ったが、海はもう真っ黒だった。すごすごと船内に戻り、湿気た毛布を被った。三等の船底はずっといろいろな音がしていて寝付けなかった。

一睡もできずしたたか船酔いし、吐くだけ吐いて朝を迎えた。竹芝桟橋に船が着いたときにはすっかり血が下がっていて目がちかちかした。15才。荷物は学生鞄ひとつだった。動かない地面にふわふわと降り立ち、目をつぶってうねりが収まるのを待った。少しおさまってくると今自分がいる桟橋の賑やかさに気がついた。行き交う人雑の中に立ち止まってこちらを向いている一組の男女がいる。饅頭屋の夫妻が迎えにきてくれていた。用意していた挨拶をつぶやいて頭を下げた。顔がぞわぞわと寒かった。

店はここから少し離れていて、これから鉄道に乗るそうだ。二人の後ろを私は歩いた。心細い私の気持ちなどお構いなしに桟橋は騒々しかった。誰もがあたりまえのようにこの立派な桟橋を往来している。お祭りのような日常を彼らは軽々と生きていた。よれた学生服を着込んでおどおどしている自分だけが場違いだった。きれいに均された道やレンガの建物、食堂や店の看板。こざっぱりとした人々。目に映るものは何もかもが色濃く、新鮮だ。ふと、初めて嗅ぐいい匂いが漂ってきた。香ばしい、しょっぱいような酸っぱいような甘いような、とてもいい匂いだった。何の食べ物かはわからないが食欲をそそる。これはおいしいものの匂いに決まっている。先を行くふたりを見失わないように気をつけながら、あたりを見回した。あれだ。松柏軒と書かれたあの店から漂ってくる。のれんが揺れて人が出てきた。洋服をきっちり着た紳士だ。店先で帽子をかぶるとすたすたと角を曲がっていった。店を通り過ぎて私は、猛然と腹が空いていることに気がついた。

浜松町の駅に着いた。切符を買ってもらって汽車に乗る。汽車も初めて乗った。腰掛けた夫妻の質問に答えながら、いくつも駅を過ぎて人形町に着いた。

あのいい匂いがスパゲティという食べ物だとわかるのはそれからしばらく経ってからのことだ。毎日毎日朝4時に起き、店の掃除をし、餡を練り饅頭を作り、並べ、売り、少しずつ貯金をした。ただ死んだように寝るだけの休みを過ごさなくてもいいくらいの余裕ができた頃、一人で汽車に乗って竹芝桟橋に行った。ここにきてからもうじき3年になる。銀座だって浅草だって配達で行って知っている。竹芝ごときで気遅れはしないがここの騒々しさは独特だ。あのときと同じように流れる人を見ながら歩く。到着した日には気づきもしなかったが海から風が吹いていた。洋服のすみずみにまでしみこんで少し身体が冷えた。ここちよい冷たさだった。

もうずいぶん家族の顔を見ていない。島の言葉は封印している。あまりしゃべらなくなった。身体は大きくなった。凧を飛ばしていた日々のことは幻のように遠く、辛くて帰りたいと思った時も不思議と故郷のことは浮かばなかった。どこに帰りたいのかわからないまま帰りたいと思っていたそれは、逃げたい、が正解だと後で知った。

あの海の、風の吹いてくるむこうには島がある。父や母はどうしているだろう。兄弟は元気だろうか。仕送りをしたが返事は一度も来なかった。弟たちもまた奉公に出たのか。この賑わいを見たのはいただろうか。

松柏軒があった。紺色ののれんもあのとき見たままだ。店頭の品書きにスパゲティ120円と書いてあった。金は足りる。あたたかいものがうずうずと込み上げてきて走り出しそうだ。腹をきゅっと引き締める。東京の人の振りをして一度前を通り過ぎる。あの匂いが風に混じる。頬が少しゆるんだ。



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切った裾も貰う


祖母に育てられた私のブルマーはちょうちん型だった。
すでに私の小学校時代にはちょうちんブルマーは販売されておらず、伸縮性のあるぴったりしたものが学校の指定体操着だった。が、祖母にとってはブルマーといえばちょうちんブルマーで、学校で使うものがそのように変化を遂げていたとは思いもしなかったらしい。
何度も何度も試着した挙句、祖母は私に2Lのブルマーを買ってくれた。

私はいかなる場合にも有無も言わさず一番前に座らされるチビだった。やせっぽちで貧相な、早生まれの子どもだった。2Lのブルマーはもちろんぶかぶかだった。
裁縫が得意だった祖母は、ぶかぶかのブルマーにゴムを通し変え、ウエストにベルトを付けてくれた。私はクラスでただ一人、伸縮する生地で出来たちょうちんブルマーで体育の授業を受けていた。誰も何も言わなかった。

祖母は私にジーンズを買ってくれたこともあった。佐世保の米軍払い下げの店で、こんなのが流行ってるんやろ、と選んでくれた。ウエスト位置がおへその上でないズボンを認めない祖母はまた大きなサイズを選んだ。裾を切りさらにまくり上げ、ベルトでへそ上に締め上げて、私はそのローライズジーンズを履いていた。生地は厚くて硬かった。そのジーンズを履いて祖母と一緒に撮った写真がある。着ぐるみのような私が写っている。

ブルマーはさすがにもうないが、そのジーンズはまだ持っている。たまに履く。裾が少し長いのだが祖母が丁寧にかがってくれているのを見ると、切ったり解いたりする気にはなれない。