「湿った黒い鼻が犬らしさであるように、後肢の関節の向きが牛らしさであるように、僕は君のことを」
その先の言葉がどうしても出てこなかった。
「あれは足根関節と言って、四肢動物において私たちの足首に相当する部分なの」
君は大抵のことを知っていた。
「宇宙は無から有を生み出す可能性がゼロでないと示したから、自由になるため死へ向かうことも存在要素に統一すると決意したから、僕は君のことを」
ただつまらない男だと思われないよう必死だった。
「日常における人間存在は頽落していて本来性とは程遠い」
君はずいぶん前から気づいていたんだ。
「無能・無策な中央政府によってこの国が沈没したとしても、止むことのない開墾と植民の結論がこの世界に下されたとしても、僕は君のことを」
それでも次の一手を考えないと生きた心地がしなかった。
「一握りの特別な権利や地位を享受できる人間が強い力を持つ、そんな構造である限りなにも変わらない」
君だってそれなりに楽しんでいたのではないか。
「最近、家の氷が臭くなってきたけれど製氷機の洗い方が分からない。もう晩春だというのにいつまで加湿器を回すべきか悩んでいる。だから、僕は君のことを」
主義主張に無意味さを感じはじめると、何がしたいのか自分でもよく分からなくなった。
「浄水器以外のフィルターって買い置きしないよね」
どうして君はこんな僕に付き合ってくれるのだろう。
「日本人の平均寿命は女性87.32歳、男性81.25歳で過去最高を更新した。前年に比べて、女性0.05歳、男性0.16歳延びたんだ。そして、僕は君のことを」
豆知識。ネットを叩けば分かる2018年のデータだ。
「ついに私は平均寿命を越えたのね」
少しボケはじめていたのかもしれない。
「本日は晴れ間も見られますが、週末は愚図ついたお天気になりそうです。もはや、僕は君のことを」
天気予報だ。
「ツバメが低く飛ぶから、私は」
君は人差し指を泳がせて、懸命に何かを伝えようとしはじめた。
僕はそれでうれしかった。