田植え前の農免道路。職質される大学生。GET WILD'99。
1999年大学4年生の春。周囲が企業説明会や誰それが既に内々定をとったなどと騒いでいるこの時期、単位がギリギリだった僕は1年生に交じって必修科目を受けているような人間だった。応募活動などもちろん停滞していた。
先日、1年くらい付き合った二つ下の恋人には将来性がないという理由で一方的に別れを告げられた。これまでの僕に対する不平不満とともに。ただ人間的にも社会的にも未熟な僕は反省すらしていなかったが。
ただ一つよかったこともあった。車の免許が取れたのだ。教習所にさえ五月雨で通っていたのでギリギリでの卒業だった。免許センターでひとり喜びをかみしめた。自分のことが認められた気がしてただただうれしかった。
誰かに伝えたくて、親友の松井大介に僕は電話を入れた。松井も就活がうまくいっていない僕のクソメイトだ。
「まっつんさ、車の免許やっと取れたよ。」
「よかったじゃん。て、涼君えらい前から教習所行ってなかった?」
「坂道発進のときの担当教官にムカついて、そっからあんま行かなくなっちゃたんだよね。」
「それにしてもよかったじゃん。ところでさ、涼君て今日ヒマ?」
「とくに予定はないけど。」
「よかったらウチくる?迎えにいくよ。」松井は実家暮らしで自分専用の車を所有している。
「え、いいの?」
「俺んちって結構な田舎じゃん。涼君さ運転の練習してみようよ。俺、助手席で見ててあげるから。」松井の実家には何度か遊びに行ったことがある。かなり郊外にありまわりは田んぼや畑だらけだ。アンダーカバーやグッドイナフを身に纏い、アシュラテンペルやノイ!などのクラウトロックを愛聴する松井であるが田舎者であることを隠さない。四国から出てきた僕は隠しまくっているが。
午後6時。松井が迎えに来た。松井の愛車はスバルの赤いジャスティー。5速マニュアルの母親からのおさがりだ。カーステからは松井のオリジナルミックステープが流れている。僕が助手席に座ると「じゃあ行こうか」と松井はアクセルを踏んだ。
途中牛丼屋で夕食をとったあとは、うまくいかない日常の愚痴を交わしながらただひたすら松井の実家を目指した。車中のくだらない会話。くさくさした気持ちは言語化して誰かに話してみることで意外に整理されすっきりする。
しばらくして松井の実家付近に到着した。家の灯りはまばらで田植え前のこのあたりはカエルや虫の鳴き声でうるさい。カーステから流れるハンマービートとシンクロする。
「せっかくだから、涼君運転代わってみる?」松井が路肩に車を停める。
「いや、怖いって。」
「大丈夫。大丈夫。この時間なんて他の車って走ってないし。俺んち着いたら結局飲んじゃうでしょ。」松井は車から降り僕を促した。恐る恐る運転席に移動する。
「ほんとにいいの?ぶつけても知らないよ。」
「いいから、いいから。この車もそろそろ買い替えるって親も言ってたし。」松井との付き合いは1年生の頃からになる。第二外国語が一緒のクラスだった。たしか隣の席に座ったあいつから声をかけてきた。話しかけやすい雰囲気だったのかお互いどこか似たような波長が出ていたんだろうと思う。裕福ではないが比較的恵まれた環境で育ち、田舎者の楽観主義者という点でも共通していた。ふたりともモラトリアムを謳歌していた。
「マニュアルかぁ。」
「免許取れたんでしょ。ほらクラッチ踏んで、そ、1速に。」ブオンと空ぶかされる赤のジャスティー。
「ギアがちゃんと入ってないよ。」
「ごめん、ごめん。やっぱ緊張するね。」
「ちょっと癖のある車だから、気にしないで。」あらためて1速に入れる。ブロロロロと走り出す赤いジャスティー。ギアチェンジしようと思ったが10メートルほど走って車を停めた。
「やっぱり無理だわ。もう帰ってビール飲もうよ。」
「じゃあちょっと気分あげてみよっか。」と松井が言うと、グローブボックスからカセットテープを取り出した。インデックスカードにはTM NETWORKの文字。単調なビートを鳴らしていたテープをデッキから取り出し、松井は慣れた手つきで入れ替える。
少し切なさを感じさせつつも都会的で軽快なイントロが車内に響く。
「GET WILD?」
「そう、GET WILD。」
「シティハンターじゃん。」ちょっと前、ロッキングオンJAPANの架空インタビューごっこしていた時の話だ。「最初に買ったCDは?」という僕の問いに、松井は照れ臭そうに『GET WILD』と答えていた(ちなみに僕は聖飢魔Ⅱのステンレスナイト)。
「懐かしいだろ。中学の時に作ったんだけど、オリジナルと‘89が交互に延々入ってるんだ。」このカセットを作成している中学生の頃の松井を心配したが気分は意外にあがる。僕はふたたびハンドルを握りクラッチを踏むとぐいっと1速へ。赤いジャスティーはうなりを上げ発進した。
「お、全然いけそうじゃん。」と助手席の松井。僕は2速にギアを入れる。ゥオン!そして3速。
「なんかノッテきたよ」緊張が解けてきた。3速のまま走る赤いジャスティー。アスファルトがタイヤを切りつける。ハンドルから伝わる路面の感触。人馬一体感とはこういうことなのかと陶酔する僕。その刹那、松井が叫ぶ。
「イツヨァペオマペオサマディスペッ‼」え?松井?と思ったが僕も心に刻む。
―誰かのために生きられるなら。
「イツヨアドリィマドリィオァサマズドリッ‼」
―何もこわくはない。
「ゲッワイエンタッ‼」僕はハンドルを左に切る。ひとりでは解けない愛のパズルを抱いて。
「ゲッワイエンタッ‼」次は右。この街でやさしさに甘えていたくはない。
「ゲッチャンエンラッ‼」アクセルを踏み込む。ひとりでも傷ついた夢をとりもどすよ。
暗闇を走りぬける僕はチープなスリルに身をまかせていた。明日におびえながら。
ふたりともどうかしていた。
どれくらい経ったのだろうか。3速のままジグザグに走っていると何やら気配を感じた。いやだな、こわいなと思いながらバックミラーを見る。
「そこの車停まりなさい。」
車を停める。パトカーから降りてきた二人組の警察官の指示に従い外に出る。生まれて初めての職質。子犬のようにおびえる僕ら。
「免許証見せてくれる?」と若い警官。
「関涼平さんと松井大介さんね。二人は大学生?」とベテラン風の警官。
「そうです。」と力なく答える僕ら。
「関さんが運転してたみたいだけど、これ関さんの車?」
「いやあの僕のです。名義は母親ですけど。」
「車検証見せてくれる?」言われるがまま松井はグローブボックスから取り出す。若い警察官は車検証を確認すると「酔っぱらってないよね?」と言って検査キットを取り出した。
「これに息吐いて。」言われるがまま従う僕ら。フー。
「ちょっと通報があってさ。農免道路をふらふら走っている車がいるって。」とベテラン。ん?待て待て。ふらふら?エッジの効いた走りの間違いではないのか?
「で、だめじゃないの。松井さんさあ、免許取りたての関さんに運転させるなんて。」
「すいません。」平謝りの松井。
「お酒は飲んでないみたいだし、名前と住所は控えさせてもらったから。」とベテランが言うと僕らはあっけなく解放された。走り去るパトカー。
「なんかごめんね。」さっきまでの自分が無性に恥ずかしくなった。
「いいよ、いいよ。誘ったの俺だし。涼君は悪くないよ。それより帰って飲も。」
「僕初めてだよ、職務質問されたの。」
「俺も。」ふたりとも少しだけ興奮している。
未熟な僕らは煙草を燻らせながら笑いあう。
「行こうか。」運転席に座る松井。
月明かりに照らされた赤いジャスティー。
ひとときのGET WILD。