我に返る自分がない
ぎしぎしきしむ新宿で、夜、エレベーターに乗る。
3のボタンを押す。息を止める。
がたん、とひと揺れして、エレベーターは開く。
ためらった一歩を見透かしたように、いらっしゃいませ、と大きな声がかかる。息を吐く。声に導かれて薄暗く、細い通路を進む。宴会のはじまりだ。
割り箸がうまく割れないのはいつものことだ。飲み放題の酒がまずいのも。
眉間に深くしわを刻んだ外国人店員が「ヤマイモテッパン?」と何度も大声で訊いてくる。
いいえ。山芋鉄板は来ています。もう三つも来ています。どこかの団体が爆発したように盛り上がっているから聞こえないのだ、きっと。怪訝な顔の店員に声を張る。うちじゃないんじゃないですか。
行き場を失った山芋鉄板が去っていく。かつお節が風に散る。ふやけて増えた海藻サラダがテーブルを覆い、乾いた魚が帰りたがって泣いている。隣のテーブルから「ヤマイモテッパン?」が聞こえる。
誰かが冷えた山芋鉄板を残して離脱する。酎ハイのおかわりが山ほどくるから帰れない。あかりが揺れる。グラスが割れる。悲鳴のように笑う女の声に空気がどんどん薄くなる。
気がつくと二次会の船に乗っていて、岸辺は見えなくなっていた。オレンジ色の照明でべとべとする町を船は進む。誰かは歌い、誰かは嘔吐する。
次の新宿にもエレベーターがある。3のボタンが光っている。
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コンビニ明るい淋しい
薄っぺらい月が夜明け前の町にひっかかっている。終わりのラッシュが始まる。夜の勤めを終えた一団だ。化粧が落ちたついでに眉まで消えた顔はわりと幼くて剥き身のように生っぽい。南に住んでいるとは思えない青白い顔で、固いままこわれた褪せた色の髪も、安っぽい柄のシャツも気にすることもなく明るいコンビニに吸い込まれていく。ものも言わず目も合わさず、魚みたいに静かに店の中を回遊する。
この島に来てから半年が過ぎた。海の美しい、楽園と呼ばれている島だ。楽園なんか見たことがない。飲み屋街の近くの、明け方のコンビニなんてどこの町でも同じだ。
弁当を買って出る。帰ったらこれを食べて寝るのだ。黒い紙を貼った部屋で、夕方まで。
日が暮れたらまたつやつやに化けてここに来る。それまでは泥のように眠る。
泣きながら歩いている人がいる。駐車場のフェンスにとまったカラスも鳴いている。空が明るくなってきた。朝日が昇る前に帰らないと。夜は真っ黒に見える羽根が実はすこしまだらなのがばれてしまう。