文芸ヌー

生活に負担の少ないブンガクを。 文芸ヌー

ト凸凹芋(puzzzle)

 アパートから線路を越えた側のスーパーマーケット、そこで売っているホタテの掻き揚げが好きだった。休日でなければまず足を運ばない。私は自動ドアを抜けると迷わずお総菜コーナーへ向かう。タマネギに包まれたホタテをカウントして、天ぷらパックを手にとった。あとはプライベートブランドの格安素麺を買って帰るだけ。そのはずだった。ふと目に飛び込んできたのはヤマトイモ。摺り下ろしたトロロ芋は嫌いでない。ナガイモよりもやや固いヤマトイモは、素麺に絡めては箸で掴むに都合がいい。
「唇につくと痒くなるから大きなお口で食べるのよ」
 母の優しさを思い返しながら目を細めた。ついに足が止まる。まさに釘付けといった状態でヤマトイモと向き合ったのは、そのテクスチャや母の思い出だけではない。これは鼻ではないのだろうか。毛穴に溜まった汚れや皮脂などが酸化して黒ずんだ鼻。そこから延びるいくつもの毛根。俺はかつて付き合っていた女を思い返してた。
「いやんなっちゃう。このイチゴ鼻」
 女は鼻ばかりを気にしていた。そして、顔面の中心に鎮座するコンプレックス対象をイチゴ鼻と呼ぶことを知る。密かにヤマトイモだと思っていたことを開かす機会はなかった。黒ずんだ毛穴から根が伸びていたことは無い。しかし、イチゴ鼻と言うほどイチゴは鼻の様相を呈していない。どうしたってイチゴと言うよりは小型のヤマトイモだろう。
 マーケットに並んだヤマトイモは、見事に黒ずんだ毛穴を持つ鼻の様相であった。大きさで言えば女の鼻の一〇個分はあったろう。しかし、見事に鼻の様相を呈する鼻一〇個分の鼻は、鼻以上に圧倒的な存在感を放つ。私の世界に圧倒的な鼻が開示され、母の優しさも、女のコンプレックスも、この鼻が立ち現れてくる地平へ導くための布石だったのではなかろうかと思えたほどだ。
 私はこらえきれず二本の指でヤマトイモの一つに触れた。中指と薬指の間に一本の根を挟む。女の毛より遙かに太いそれは、指を持ち上げると簡単に抜き取れた。ヤマトイモと一続きであった根が指の隙間に納まった。
 ヤマトイモの境界線について思いを馳せる。なにかが存在している限りその境界線がどこであるのかという問題が生じる。私の核は心臓なのか、脳なのか。私の境界線は皮膚なのか。それでは剥がれ落ちる角質や、シャワーの度に抜け落ちる頭髪は。自分自身を再生産するための要素である限り私の一部だというオートポイエーシスの考え方がある。痛みが伴う限り私なのだという持論がある。抓って痛い限りは私。髪の毛だって、引っ張って痛い限りはまだ私のもの。人格だってそう。
「痛かった?」
 私はヤマトイモに問いかけてみる。もちろん返答はない。鼻で笑われそうだ。摘んだ根を口に含んでみた。僅かにイモの風味がする。これって無銭飲食かしら。もう買い取らなければいけないだろうか。キャベツならばゴミ箱が用意されていて、外側二、三枚を捨ててしまうヒトもいる。捨てられたキャベツがゴミならば、ヤマトイモの根一本くらいで文句を言われる筋合いはないでしょう。女の鼻パックを思い返し、もう一本を引き抜く。女の勧めで一度試したこともあった。角栓と言うのか、毛穴に隠れたヤツらを引き吊り出す作業はどこか心地のいいものであった。オートポイエーシスの果て、代謝に関与できなくなったものたちが引き吊り出されて排除される。最近、レオパードゲッコーの脱皮シーンが可愛いと、盛んに動画がアップされている。あのトカゲは最後に自分自身の皮を食べてしまうようだ。引き剥がした自己を、また再生産の要素として取り込む。私は引き抜いた根をもう一度口に含んで、角栓を食べる女を思い浮かべた。
 ヤマトイモの根を二本も抜いてしまった。思いの外簡単に抜けてしまった一本目は事故だったにせよ、二本目は自ら積極的に抜き取ったことを認めざるを得ない。はじめからこのヤマトイモをレジへと運ぶつもりでいたのだ。天ぷらパックを右手に、ヤマトイモを左手に、私は乾麺のコーナーへ歩き出した。
 家に帰れば、はじめに鍋にいっぱいの湯を沸かす。続いて、天ぷらを皿に移してレンジでチン。そして、女の鼻を思い浮かべながら、その一〇倍の大きさを持つヤマトイモを下ろし金で摺り下ろしていく。常軌を逸した感慨に耽りながら、俺はヤマトイモに「痛かった?」と尋ねるだろう。受け皿には黒ずんだ角栓の混ざったトロロ芋。トロロ状になったイモの境界線はどこにある。それは大きく口を開けた私に取り込まれ、私を再生産するための要素となる。たくさん含まれる水溶性食物繊維は腸内環境を整え美肌効果にも抜群。女の携帯番号ならば、未だそらでも言えた。