文芸ヌー

生活に負担の少ないブンガクを。 文芸ヌー

29,30/101(xissa)

 

ワイパー空振って町は滲んでいる

 

ドアを開ける。冷気が押し寄せるのかと思って覚悟していたが、内も外も同じくらい冷えている。フリーウェイ沿いの安モーテルは隙間だらけでカーテンも薄っぺらく、室内でも息が白く見えるほど寒かった。

午前四時を少しまわったところだった。夜遅くまでべりべり鳴っていた不気味なピンクのネオンサインも消え、夜は寒さでほのかに光っていた。夜明けは遠く気配もなく、深夜ほども暗くはない空には月も星もなかった。音もなく揺らぎもしない地平線までの半球には、透き通った群青を湛えた凪だけがただあった。

夜と昼とが縦横に均衡を保って停止したその中に、私は息もできずに立ち尽くしていた。そこには生命も歴史も、何もなかった。誰も触れていない、生まれる前の一日がうずくまって静かにこちらを見ていた。美しかった。おそろしいほどに。私は怯え、動くものに縋った。群青は即座に砕け、凪は濁った。

 

野ざらしの車を暖め、スクレイパーでフロントガラスの霜を引っかく。走り始めると張りつめた夜も遠ざかった。日が昇り、ぐっしょりと濡れた窓ガラスの向こうにあたたかなオレンジ色の地平が広がり始めた。ラジオが今日の快晴を告げる。次のダイナーで食事にしよう。

シカゴまでまだ300マイルはある。今年は雪がないだけマシだ。



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灼けつく駐車場の無口

 

 

高校の三年間はバス通学だった。三十分ほどの距離を市営バスで往復した。学校の手前にカー用品を扱う店があってバスはしょっちゅうその前の信号でひっかかり、黄色い看板のその店は車も持たないのに馴染みになっていた。

最初の連休が終わったあと、店の駐車場のフェンスにのぼりが出された。カーエアコンの宣伝だった。バランスのおかしいリキテンシュタインみたいな女性の顔が横長の布にプリントされている。色も青と黒とオレンジくらいしか使ってなかったし、でっかいエアコン会社のロゴと相まってなんだか演歌っぽい迫力のある宣伝幕だった。

私はなぜかそののぼりが気になってしかたなかった。何度もその前を通るたびに眺めて、そのうち、のぼりが気になっているわけではないことに気がついた。私の目をひいていたのはその安っぽい女性やロゴの後ろに描かれたドットの海だった。

海のない町で生まれ育った私には、横長の布いっぱいに細かいドットの波しぶきを立てておし寄せる海はそれだけで十分な、物語の中にあるようなあこがれの夏だった。バスの停まったほんの少しの時間に私はのぼりの後ろに広がる海を見、波音や風や、風に混じる音楽を聞いた。たった十数年の人生のどこで知ったのかわからない、やさしいような、なつかしいような時間を感じていた。バスの立ち位置を移動してまでも眺めていた。時々泣きたくなった。誰にも話さない秘密だった。

毎年ゴールデンウィークが過ぎる頃には埃っぽい駐車場のフェンスに同じのぼりがかけられ、夏の間はそれを見ながら通学した。三年目にはのぼりはひどく色あせていた。

会社でパソコンに向かっている。ただ向かっている。画面は立ち上がっているが何も見ていない。モニターに貼ってある保護フィルムを見ているのだ。乱暴に貼られたフィルムは少し空気が入って、上の方が横一線にちりちりと波打っている。バスの窓から眺めていたあのドットの海だ。直感が止まれと悲鳴をあげた。思い出したら変わってしまう。私だけの。大切な。固まったまま動けない私のまわりを波はおだやかに満たしていった。まばたきもせずに見ていた。かすかに初夏のエアコンの匂いが漂った。

昼のチャイムが鳴ると節電で照明が消える。昼ごはんに誘う声がする。モニターの上に海はまだあった。それが何だったのかさえわからないが、あの瞬間私は何かを失った。わかるのは二度とそれを手にすることはないということだけだ。急かす同僚に適当に返事をしながら立ち上がる。泣ける場所はない。