文芸ヌー

生活に負担の少ないブンガクを。 文芸ヌー

28/101(xissa)



港町錆びて軋む

 

 

漆のはげた黒いオルゴールがある。父からもらったものだ。もう半世紀といわず私の手元にある。ネジを巻けばまだ動く。くたびれた音で歌う。

 

これをもらったのは小学三年生の夏だった。ご飯の支度を手伝っていた時に、玄関から人の声がした。割烹着のまま母は玄関へ急ぎ、私はその間の鍋の番を申しつかった。

母はなかなか戻ってこなかった。玄関を覗くと、黒い薄物の着物をぞろりと着た女の人が立っていた。うちの玄関に似つかわしくないそれはきれいな人で、母に何かをすべすべと話し紙切れを手渡していた。

台所に戻ってきた母は、大汗をかいていた。私には目もくれず、煮物の鍋を引っ掻き回した。

 

案の定その日の晩ご飯は修羅場になった。父と母の口論は次第に怒声に変わり、弟と妹は怯えて泣き出した。私は二人を連れて外へ出た。風呂の裏でしゃがんでいた。

私たちがいなくなるとさらに口論は大きくなったがしばらくすると突然すっと静かになった。

妹をおんぶして、弟と手をつないで私はしゃがんでいた。父が迎えに来てようやく家に入った。食べかけのご飯はそのままで、母はいなかった。

父は座り直してご飯を食べ始めた。私たちもそれに倣った。誰も喋らなかった。

 

次の日父は、今日は学校を休みなさい、と私に告げた。母が帰ってこなかったのだ。妹たちの面倒を見てやってくれ、と言って、父は仕事に行ってしまった。

私は妹を背中にくくりつけて朝ごはんの片付けをした。家の掃除をしながら学校は今何時間めかな、と考えた。給食。今日の献立はなんだっただろう。

昼は朝の残りの冷たいご飯を三人で食べ、妹を昼寝させて、弟と一緒に学校ごっこをして本を読んだ。その日父は驚くほど早く帰ってきた。

 

結局あの時はまるまる一週間くらい母は戻らなかった。身寄りのない母がその間どこへ行っていたのかはわからない。桟橋通りのカフェーリスボンのあたりを歩いていた、と近所の人から聞いた。治子さんあそこで働くのかね、リスボンは美人しか雇わないのに、とおじさんは笑って言った。

うちに来たあの黒い薄物の美人がカフェーリスボンのマダムだということは、父と母の口論から薄々私も理解していた。父がそこに通い続けていたこともなんとなく予想がついた。

 

時間が経たなくて所在なかった日、妹を背負って桟橋通りに行ってみた。船が着けば外国人でごった返す商店街は閑散としていた。商店街の裏手を抜けて船着場の方に向かった。学校の知り合いに会わないように、大人に不審がられないように気をつけて歩いた。

カフェーリスボンは盛り場の入り口にある。店はしまっていて中を覗いても誰もいなかった。いたらいたで怖かっただろうけれど、椅子が上げられてかさかさした色のない床に陽が落ちているのを見ていると別の恐怖が押しよせてきた。お母さん、このまま帰ってこなかったらどうしよう。泣きそうになって来た道を戻った。悪い考えを振り払うように走った。背中で眠ってしまった妹はどんなに揺さぶられても起きなかった。その日も母は帰らなかった。

 

雨の降った木曜日、買い物から戻ると玄関に母の靴が揃えてあった。弟の声が聞こえる。あわてて部屋に上がると台所に母がいた。足元に弟を纏わらせて米を研いでいた。私に気がついた母はふつうの顔をして、あら、おかえり、と言った。あまりにふつうだったので、つい、ただいま、と言ってしまった。言った後にもっと他に言いたいことがあったような気がした。母の背には妹が落ち着いている。私はどうしていいかわからなくて、買い物かごを持ったまま台所の入り口で米を砥ぐ母を見ていた。

 

何事もなかったように六月が過ぎて夏の祭りの準備が始まった頃、父から百貨店の名前の入った立派な紙袋を貰った。私が受け取ったのを見ると何の説明もなく父は外出した。紙袋を覗くと小ぶりな包みが入っていた。父から何かを貰ったのは初めてだった。私はあたりを見回した。弟たちがいないことを確認してから紙袋から箱を取り出した。慎重に包装紙をはがすと中から黒い箱が出てきた。

漆塗りの蓋の上に薄いピンクのバラの花の絵が描いてある美しいオルゴールだった。ねじを巻いて開くと知らない曲が流れた。きれいだと思った。誰にも見つからないように机の下に隠した。

 

オルゴールをひっくり返すと裏に曲名が書いてある。ショパンの「別れの曲」。

父はこのオルゴールを私に買ったのではなかったのかもしれない。母にか、リスボンのマダムにか。どちらに渡しそびれたのだろう。もう尋ねるよしもない。

このオルゴールが奏でる別れの曲は少し変だ。別れの曲なのは最初だけで、途中から聞いたこともない曲になってしまう。本物はこんな乙女の祈りみたいな終わり方はしない。

間違って覚えたまま大人になり、私は町を離れた。カフェーリスボンもなくなった。気がつくと両親の年齢も追い越して、誰よりも年上になっていた。