文芸ヌー

生活に負担の少ないブンガクを。 文芸ヌー

蝋人形の部屋

数年前から通っているバーのバーテンダーの部屋に招待された。その夜はバーに官憲が巡回に来て、やれアルコールの度数が強いだの、やれ喫煙席から煙が漏れているだの(カーテンで遮蔽しているだけだ)、全く商売にならなかったので、僕とバーテンダーは、肩をすくめて、じゃあ部屋で飲もうという塩梅式になったのだった。

バーテンダーが言うところの「プライベートルーム」は、バーを模した小部屋になっており、スイッチを入れると音楽が流れ、何と言っても白眉は、酔客、バーテンダーの蝋人形が配置されている事だった。その上、喧騒の雰囲気の環境音も調整されており、僕はまるで、ディズニーランドのカリブの海賊のようだと思った。彼はカリブの海賊よりも手間とコストがかかっていると言った。僕もそれだけのクオリティはあると思った。蝋人形は動かないが、瞬間をうまく切り取っている。

彼が言うには、これは彼が一番楽しかった頃、自分が大学生の時、仲間とバーに出入りしていた時の、バーの様子を再現したものだと。酔客やバーテンダーも姿も、写真からおこしてリアルに、当時の仲間を再現したものだと。もう二度と訪れない、過去の一番楽しくて美しかった頃を、こうやって眺めながら一杯やるのが、至福なのだそうだ。僕は、そのご相伴に光栄にも選ばれたっていう寸法なのだ。

僕と彼は、そして楽しい仲間の蝋人形たちと、その「プライベートルーム」で、一緒に飲んだ。とても楽しかった。夢の中でメリーゴーランドに乗っているような気分だ。最高だ。まるで、僕も、その時の仲間であるみたいだった。僕は翌日、娘の結婚式だ。それでも、26時まで飲んで、そして名残惜しく帰った。僕の歯形が、このバーの柱に残っているだろうね。相当程度、柱を噛み締めたから。

翌日の結婚式は、教本通りの五月晴れといった塩梅式で、すわ、ここは天国かと僕は呟いた。酒が残っているし睡眠不足だ、頭は痛いし霞がかかったようだ、僕は娘の手を引いて、バージンロードを歩いた。何か泣けてきたので、涙がこぼれた。入場曲は、My Old Keutucky Homeだ、僕は誇り高きアメリカ移民だ。


でも、そのバージンロードは、地雷でいっぱいだった。まず、バージンロードを形作る、娘の友人、婿の友人、及び、親戚縁戚一同が犠牲になった。招待客を絞って良かったと思った。一応説明すると、バージンロードを形作る際に、バージンロードに沿って立ち並ぶ必要があるのだが、その移動の際に、地雷にヒットした、という訳さ。爆発の様相から見て、旧ソ連の地雷を誰かが持ち込んだんだな、と思った。ああこれは、旧ソ連の地雷だな、とピンときた。こういう眼は、徴兵の時に学んだんだ。

教会の駐車場には、戦車及び軍用車しか止まっていなかったし、どうも最近おかしいんだ、何が起きたって、不思議はないさ。僕は娘の手を引いて、バージンロードの最後まで、歩きおおせた。娘はうっすら笑っていたよ、それだけが救いだった。娘のはにかみ笑いの、えくぼが、遠い国の戦地の「丘のくぼみ」を思わせた。みんなが犠牲になってくれたので、バージンロードだけは安全だった。

負傷者は、老いた衛生兵(共産党員だが、仕事はしっかりとしてくれる)により治療され、不幸にも婿のお父さんが亡くなってしまったけれども(爆風による心臓ショックで!)、結婚式はそのまま行われた。僕は、昨日のプライベートルームの、蝋人形のお爺さんの顔を思い出していた。中学二年生の時の、書道の先生にそっくりだったからだ。僕は書道の時間が好きではなかった。そんな回想を中座して、ふと周りを見回すと、みんな、僕を睨んでいた。無理もない。地雷の犠牲にならなかったのは、僕と娘だけだからだ。どこかしら、みんな、負傷していた。手負いの馬たち(草競馬の余興をやる予定だったが、地雷があったために中止になった)までもが、僕をギュッと睨みつけている!僕は、申し訳程度の罪悪感を感じたので、咄嗟に照れ笑いして誤魔化す。

でも、今日は特別な日だ。ワインを飲み干す。太陽の味がした。旧暦で言えば六月の花嫁になるのだろうか。よくわからない。手負いの馬たちが、少し笑った気がした。馬たちの背中が、五月の陽光に暖か気に揺れている。僕は許される気がした。