文芸ヌー

生活に負担のないブンガクを。 文芸ヌー

22/101(xissa)

 

電車の中で誰ですかかぼすの匂い


 

離陸してしばらくすると具合が悪くなってきた。

小さなセスナだ。空調も効かないし揺れ放題だし、なにしろうるさい。

海の上を機体は飛んでいる。隣の島まで小一時間らしいがすでに吐きそうだ。

美しい海が眼下に広がっている。脂汗をぬぐいながら刻々と変わる海の色を追ってこれ以上ないほど気を紛らわせていた。もうだめだ、と思った時、島が見えた。もうすぐです、と陽気なパイロットの声が聞こえた。

血の気がすっかりひいた頃、ななめに水没した桟橋に機体は着いた。

では二日後に。良い旅を。セスナは私を置いて飛び立っていった。

ズボンを砂まみれにして浜に座り込む。そのまま倒れる。砂の熱さが心地よい。じっとして揺れが小さくなるのを待っていた。上から見ていた時は真っ青だったのに、ここから見る海はそんなに青くなかった。風も生ぬるくて不思議なにおいが漂ってくる。不快なのかどうかすらわからないような曖昧な空気が湿気と一緒にまとわりつく。

青い半ズボンの子供がこっちを見ているのに気がついた。オレオみたいに真っ黒な少年が突然砂浜に立っていて、私が気づいたと見ると駆け寄ってきて何か言った。

心配してくれているのではなく、どうやらアイスクリームを売りにきたようだった。

不承不承身体を起こして、いくらか、と尋ねると、指を一本立てた。

1ドルのコインを渡すと、少年は笑って走り去った。あ、しまった、と思ったが、すぐに小さなカップのアイスクリームを持ってまた戻ってきた。

彼はちょっと笑うと来た時と同じようにあっという間にまた走っていった。

食べる気もないのに買ってしまったアイスクリームが手の中に残った。開けてみると既に溶け始めていた。口に含んでみる。半分は氷のような、クリームとは言い難い口触りだった。しゃりしゃりと崩しながら、さっきから風に混じる生あたたかい匂いはバニラの匂いだと気づいた。

桟橋から道は一本しかなかった。タクシーもバス停もなく、湿気と日差しに閉口しながら赤土むき出しの道を荷物を引きずって歩いた。道の両側にトタンの家がいくつもあった。何枚もトタンを重ねた地味にカラフルな家の前にはどこもさっぱりしない洗濯物がだらしなくぶら下がっていた。全体的にくすんだ色味は目に優しく、ずっとあの匂いが漂っていた。物珍しそうにこっちを見る子供は何人かいたが大人は全然いなかった。だらだら汗をかきながら、アイスクリームの少年はどこからやってきたんだろうと考えながら歩いた。

汗だくでようやくたどり着いたホテルはレンガでできていて暗く、ひんやりしていた。みんなぺたぺたと裸足で歩いていた。日陰を通る風は冷えてはいたがやはりあの匂いがする。鼻をひくひくさせていると荷物を運んでくれたポーターがくすっと笑って、この島はバニラが特産なんです、と教えてくれた。

暗いホテルにいると頭の芯まで涼しくなる。通された部屋からは海がよく見えた。あのセスナの時間が嘘のように静かな午後だった。汗だくの服を着替え、スーツケースの泥を落として、もう何をするのもやめた。部屋の外に出る気さえ失せて、横になってうとうとしながら部屋を通る風に吹かれていた。もうすぐ夕暮れだ。少し身体を起こせば赤いレンガの向こうに暮れていく空が見える。空の色が濃くなるにつれてあの匂いも濃くなるようだった。吸い込むたびに身体が重くなっていく。恐れもなく思考をすべて手放して、薄暗くなっていく部屋の中で息だけしていた。

遠くで何か声がした。急に意識が浮上する。あたりはすっかり暮れていた。

どこからか肉の焼ける匂いが流れてくる。引き戻されるのが惜しくて寝返りを打ち、枕に顔をうずめた。空腹を感じなかったし、考えるのはすべて面倒だった。このまま、どろっと溶けて均されたまま、風が脈を打つとおりにただ呼吸を繰り返していたかった。気配を消すように闇に沈んだ。青いズボンの少年がアイスクリームを持ってくるのをずっと待っていた。