文芸ヌー

生活に負担のないブンガクを。 文芸ヌー

19/101(xissa)

 

背中の夕焼けがすごいらしい


この子、しばらく預かる、と仕事帰りの父が子供を連れてきた。

真っ黒な子供だった。そこそこの格好はしていたが汚い。履いているズック靴は元の色がわからないくらい汚れ、ぱりぱりになって破れていた。

母は嫌な顔をした。子供は興味深そうに家の中を見回し、私を見て歯をむき出した。

どういういきさつなのかはわからなかったが、新聞の営業をしている父の事務所で雇うことになった子らしい。

住み込み先が決まるまで、と父は言った。

困りますこんなこと、と母は父につめ寄った。

どうしてうちばかり事務所の面倒ごとを引き受けなきゃならないんですか。あなたのお人好しの迷惑を被るのはいつも私なのに。それにうちには女の子がいるんですよ。

父は黙って部屋の奥に入ってしまった。母は子供を見もせずに、庭を指さした。

湯を沸かすから、それまであっちにいなさい。

母はたらいに湯を張り、子供に洗うよう命じた。何度も台所と庭を往復して湯を換えた。

上がってから爪も切らせた。父のお古の浴衣を身体に巻き付けた子供はやっぱり黒ずんで見えた。

母はずっとぶつぶつ言い続けた。明日斉藤さんのところに相談にいくから、と父は言った。

子供はまた歯をむきだした。

風呂に入り、夕飯を食べた。

父は無口なまま晩酌をし、母は私の箸の持ち方を見るたび注意した。

いつもと同じ夜だった。

子供は庭で夕飯を食べた。口を動かしながら私たちの方をずっと見ていた。一言もしゃべらなかった。

目が合うと口をゆがめ、また歯をむき出した。

私はすぐに目をそらした。

この子がうちに貰われて、これから弟になる、とか言われたらどうしよう、と思った。

少しもかわいくなかったし、怖かった。

そのあと父は子供を納屋へ連れて行った。そこで寝かせるようにしたらしい。

鍵をちゃんとかけてくださいよ、と母が父に声をかけた。

次の日の朝、母の悲鳴で目が覚めた。

父と母のすきまから見た居間はひどく荒れていた。父は裸足のまま庭を突っ切り納屋へ向かった。

母は居間と奥の間、台所をうろうろし、短く何かを言っていた。

私はあの子がどこからか飛び出して来るんじゃないかと恐ろしくなって母の後ろにずっとくっついていた。

子供はどこにもいなかった。

納屋の戸は破られ、薄い掛布がぐちゃぐちゃに落ちていた。

居間はありとあらゆるものがひっくり返り、大風が通り過ぎた後のようだった。

母が震える手でなくなったものを紙に書きつけていた。

父は電話をかけに行き、私は座布団を抱えて母のとなりに座った。

あのおそろしい子供。痩せて小さく、幼稚園の子くらいに見えた。

むき出した歯はぼろぼろだった。もしかしたらあれは笑っていたのかもしれない。部屋の中を覗きながら、盗めそうなものを探していたのだろうか。

腕をぽりぽり掻きながら子供のことを考えていたら身体のあちこちが火がついたように痒くなった。

掻きむしっていると、茶色いころころした虫が落ちた。

おかあさん、なんか、虫、とおそるおそる声をかけると、母は、南京虫だわ、と悲鳴を上げた。

あの小輩!金目のもの盗って南京虫置いていった!

母は立ち上がると私が抱えていた座布団を庭に投げ捨てた。灰皿や、散らばっていた薬箱や本や湯呑みを手当たり次第に地面に投げつけた。そして噴き出すように泣いた。私も母と一緒に泣いた。

夕方、父は庭で座布団を焼いていた。

ぶすぶすとくすぶるように燃えるそれを、父は一人で黙って見ていた。

火がおさまっても動こうとせず、煙の消えた方を見ていた。

空は崩れ落ちそうに夕焼けていた。

それからしばらくして戦争が始まった。