文芸ヌー

生活に負担のないブンガクを。 文芸ヌー

気配(井沢)

録画の緑のランプを見ている。
この家から誰もいなくなる時間を初めて経験している。留守だ。
「ひとりで待ってるよ」と言ったのは自分からで、それが意外にもすんなり受け入れられ、降って湧いた初めてのお留守番だった。
いつもは赤く光るランプが、今は緑色をしている。その代わり、普段は色の付いていない小さな四角が赤く光っている。つまり、このビデオデッキは録画をしている。

緑色の時は「ついている」
赤色の時は「消えている」
緑と小さい赤が同時についているときは「ろくが」
特別な操作をするとふぉんふぉんふいーんと音がして稼働する。
テレビ画面が点いていなくても「ろくが」はできるらしいことを最近知った。理解は追いついていないが、できるんだから、それはもうそういうことなのだ。

観察を続けて得たデータは日々更新されていく。
ビデオカセットをある程度まで差し込むと手応えがなくなり吸い込まれていく。それ以後、庫内に指を入れてもカセットに当たらなくなる。指が届かない所に行ったのだろうか。ぐいと指の根元まで押し込んでみる。指先には何も当たらない。ふと、庫内の底面に触れてみるとかたかた動くことに気付く。取出口のパネルの上部を指で押さえて覗き込んでみる。暗い庫内で黒いカセット本体は判別がつかないが、父がサインペンでタイトルを書いたラベルの一部が見える。庫内に沈んでいるのだ。
ほう。
まさか底に沈むとは。

ふいにビデオデッキの観察から集中力が途切れる。
時計の針の音がする。いつもこんな音がしていただろうか。ああでも寝る前もこの音が聞こえるから、いつも鳴ってたのかもしれないな。ふうん。

何となくだが、喋ってはいけない気がする。気配を消さなければ。自分がここにいることが誰かにばれたら、誰かが来てしまう。誰もいない家で誰かに話しかけられる、それは怖い。
あるいは息を潜めていた何かが、自分が出した声に呼応して一斉に喋り出すかもしれない。それも怖い。誰も鼓膜を揺さぶらないでほしい。

早く誰か帰ってこないかな。20分もかからないはずだけど。テレビよりずっと上のほうにある掛け時計を見上げると、5分しか経っていない。まだ5分?窓が閉まっていて風は無い。それとは別に部屋全体の空気が止まり、時間が止まっているのではないかと疑う。しかしビデオデッキのデジタル表示は時間を進めている。父の好きな野球アニメの再放送を黙って録っている。ふぉんふぉおんという音がいつもより大きく聞こえる。時計の針の音がさらに大きくなる。

再び頭上高くの掛け時計に目をやると、20分が経過していた。さっきの永遠のような5分間を思うとそこからは随分早く感じた。

外で鍵を手で探りながら近付く音がする。
がちゃり。とんとん
時計の音もビデオデッキの音も消える。
世界は気配を取り戻す。