文芸ヌー

生活に負担のないブンガクを。 文芸ヌー

17,18/101(xissa)

 

他人の家のさわやかな朝

 

気がつくと、朝日でじっくり日焼けしていた。朝というには早過ぎる時間だが、既に明るい。熱い日差しが容赦なく降り注いでくる。明るいということは、セミも鳴く。大きな木か並木でもあるのか爆音だ。寝られやしない。そしてセミが鳴くということは夏休みの子供たちも浮かれて早起きするということだ。すでに声が聞こえる。そうしてそのうちラジオ体操が始まるのだ。ますます寝られない。というか、ここはどこだ。誰の家だ。タオルケットなどきちんと着せ掛けてくれて、ぐっすり眠れたけれども。割れるほどセミが鳴く。嫌な予感しかしない。またなんかやらかしたのか。起き上がりたくない。動きを止めたままセミの声の隙間をまさぐるように他の気配を探す。それにしてもまぶしい。カーテンくらい買えよ。

 


*********************

 


途中の空を見上げる

 

小学校に入学する時に祖父が奮発してくれた牛革のランドセルは規格外に小さかった私にはひどく重かった。教科書や筆箱を入れると更に重くなって、行きはともかく帰りはあちこちで休憩しながらようやく家にたどり着いた。立ち止まるたびにおなかにかついだり頭にのせたり両手でぶらさげたり、ランドセルを持ち変えた。泣きそうだった。もうちょっとなら歩ける、あと十歩、そしたらまたあと十歩。ほこりっぽくて日影のない道は果てしなかった。

しばらくするとランドセルを背負ったまま寄り道したり追いかけっこしたりできるようになった。重いのは相変わらず重かったはずだが、あたり前に背負ってどこまでも行った。学校帰りには友だちとあちこちで遊んだ。買い食いもしたし、よその家の呼び鈴も鳴らした。家には大回りして帰った。

祖父の買ってくれたランドセルは丈夫だった。6年になる頃にはランドセルは傷だらけになって、少しへしゃげて背中にしっとりと馴染んでいた。

 

 

 

不慣れな道を歩いている。子供の頃も引越しはわりと多かったし、大人になってからも転々としている。この町に来てようやく1週間が過ぎた。まだ職場も落ち着かない。町のこともよくわからなくて、最低限のことだけして生きている。まともな定食が食べられるような店がどこにあるのか、足らないカーテンはどこで買えばいいのか、そういうことがまったく追いついていない。大きさの合わない風呂の蓋のこととか、まだ開けてない箱とか。郵便局にも行きたいし近所に挨拶にもまわりたい。会社の人の名前もまだよく覚えていない。明日も仕事だ。とりあえずバスの乗り方はわかるようになった。前乗り後払い。カードでいける。粛々と列に並び、バスを待つ。

 

重たい。新しい町に来るといつもそうだ。前までなんてことなくやっていたことが何もかも、みんな簡単には動かなくなる。覚えていた道も知っていた店も全部なくして、もう一回、最初から。ゴミのお作法もスーパーの営業時間もみんなリセットだ。生活は押し寄せる。途方に暮れる暇もない。

息をついて新しい町を持ち直す。前に担いだり頭に載せたり両手でぶら下げたりしながらとぼとぼ歩く。そうやってなんとか今日をやり過ごす。

 

馴染めばなんてことないのだ。時間が経てば今は重くて動かない町も、ほいほい転がせるようになる。旨い定食屋も見つかるし、洒落たカーテンも買える。

 

バスは来ない。町は中途半端な夕暮れだ。靴のつま先を見ながらもうちょっと、もうちょっとと思っている。