文芸ヌー

生活に負担のないブンガクを。 文芸ヌー

上手にサヨナラ(小夜子)

線香が燃えている。

長いこと寝たきりだった祖父が亡くなった。十六年前に脳梗塞を患い右半身の自由を失ったうえ、併発していた咽頭がんの治療によって声すら出せなくなった祖父が亡くなった。享年八十六歳。
祖父は散歩が好きだった。お酒を飲むのが好きだった。煙草を吸うのが好きだった。歌を歌うのが好きだった。わたしのことが好きだった。

祖父の定年退職と同時に産まれたわたしは祖父の寵愛を一身に受けていた。
二歳頃からわたしを公園などに連れまわし、写真を撮り、動画を撮り、抱き上げ、自転車の座席に乗せ、欲しいものは買い与え、時には叱り、腕相撲でわざと負け、ドラえもんのアニメをせっせと録画し、わたしの運動会では開門と同時に若い父兄に混じって先頭を走り、一等いい場所を確保してニコニコ手を振っていたあの祖父!ただただわたしに愛を注ぎ、わたしの自己肯定の根元を育んでくれた祖父!薄くなった毛髪を逆なでしつつ声をかければニコニコ反応した祖父!
その全てが寝たきりになってしまった祖父にはなかった。わたしの知らない「祖父のようななにか」が、十六年間病院のベッドにいた。わたしのことがわからない「祖父のようななにか」がそこにいた。わたしは恐ろしくて、「祖父のようななにか」に「わたしの祖父」として会うのが苦痛だった。祖父は祖父のままでいてほしかった。この十六年間、祖父の見舞いはろくに行かなかった。

「21時55分、ご臨終です」
医師の義務的な言葉に、わたしは頭を下げながら少し笑った。アアようやく「なにか」が「祖父」に戻ったんだと思いすらした。祖父は黄色い顔色で眠っており、わたしの知っている祖父だった。

祖父の葬儀は内々で済ませることになった。
どこで聞きつけたのか、祖父と親交のあった人々が時折訪れては生前の祖父の思い出話をわたしに聞かせた。「祖父」以外の祖父の言動を聞く度わたしは笑った。祖父はそういうひとだったのだ。孫を泣かせるようなことをしないひと。
むせ返るような匂いの花々と、愛用していたジャケットと、かつてわたしが折った下手くそな折り紙の祖父愛用腕時計とともに、祖父が横たわった棺桶が、機械的に火葬場に運ばれ、無慈悲に扉が閉じられる瞬間、いつかのように「ジイジイ!」と祖父を呼んだわたしの声に、祖父はいつかのように反応してはくれなかった。

祖父が愛煙していたCHERRYを一本拝借し、「ジイジイ、辛いよこの煙草」と笑ったわたしのまえで、静かに線香が燃えている。

ちなみに「祖父」以外の祖父は泥酔した末に鼻の両方の穴に火のついた煙草を詰め、全裸でネクタイをぶら下げた状態で踊り狂うような男だったようで、今からでも「両鼻穴煙草全裸演舞」に戒名してもらえないかと思っている。