文芸ヌー

生活に負担のないブンガクを。 文芸ヌー

そして誰もいなくならない(井沢)

7月、西伊豆のとあるキャンプ場。

砂浜も岩場もある緑色の海 。C字型の湾にかかる崖はそのまま背後の山脈に繋がっている。私が犯人ならうっかり重要なヒントになる過去の話をしそうな景色だ。砂浜から一段上がれば横に広いテントサイト。


昼間はのんびり絵なんか描き、眼前の海に夕日が沈みきるといそいそとトマト缶と豆缶と薬味類で調理を始め、各々持ち寄った一品を交換するなどして談笑。


一転、夜から暴風雨となる。 


もはや台風だと思う。こんな風と雨「梅雨前線」で片付けていいのか気象庁。テントは折れるものあり、破けるものあり、浸水するものあり、ほぼ壊滅。


キャンプ場のトイレは、所謂道の駅や観光地にある山小屋風の木造のトイレ、あれを想像して頂きたいのだが、その天井から薄い木板がぴたーんと落ちてきた。その瞬間用を足していた身としては、何事かと気が気じゃなかった。床に落ちた木片を見てむしろ安心した。 発砲事件とかじゃなくてよかった。嵐で事実上密室となった山小屋風のトイレに銃を持った殺人鬼が現れたんじゃなくてよかった。


屋根と壁のある施設がそのトイレしかなかったため、男子トイレに9人が集結した。


「レスキューとか自衛隊来てもいいよね」 

「Y氏、軍まだかよ〜」 

「ごめんごめん」

「朝までに俺達、死人が出てても何らおかしくないよね」 

「ここ(キャンプ場)の管理人はこういうときに出てこないでいつ出てくるんだろう」 

「やっぱ川の中州で取り残されてないと、こんなもんじゃ来てくれないんじゃない?」 

「ああ、で救援来てもバカヤローとか言う輩がいるわけだな」 

「あったねーそんなニュース」

「コーヒーいる人〜」 

何故か嵐のトイレで湯を沸かしコーヒーを入れた社長。 

しかも挽いた豆でペーパードリップだ。 

溶けそうなプラカップで皆でいただいた。 


小一時間が経ち、睡魔の誘惑に屈した2人が 

「隣(女子トイレ)で寝れる」 

という結論に至り、銀マットを持って移動していった。 

「あ 余裕じゃん」 

「あ全然いけますね」 

「俺ここー」 

… 

「わ!でか!」 

「でっか!」 

蜘蛛がいたらしい。という筒抜けの一連の会話から数分で完全に沈黙した。 

早朝から都心からバイクでうろうろ回って疲れていたから、嵐だろうが蜘蛛がでかかろうがたとえそれがタランチュラだろうがトイレの床だろうが眠れるのだ。 


男子トイレはあいかわらず 

「でも気圧の谷が通過するまで2、3時間ですから、それが過ぎれば大丈夫ですよ」 

「今何時だっけ」 

「23時過ぎですね」 

「(まだ!?)あれU野は?」 

「C山とコンビニで朝まで立ち読みして風雨をしのぐって、嵐の中消えて行きましたよ」 

「H氏は早い段階で向かいのホテルに泊まるって行きましたね」 

「あそこいくら?」 

「素泊まり1万だって。朝食付きで1万2千?」 

「1万かー」 

「1万かー」 

「1万ならここで徹夜して明日昼間寝るよね」 

「俺達、行きます」「行きます」 

「え まじ?」がたこと 

「…行ったねー」 

「あそこドアマン?みたいな人までいましたよ。入れてもらえますかね」 

「ウインナーいる人〜」 

何故かトイレでコッヘルとバーナーでアルトバイエルンを茹でた社長。何が彼をそうさせるのか。 

「なんで今ウインナーですか社長」 

「え なんか。食いたいじゃんね」

社長になる人間とはこういう男なのだ。

 

日付けも変わった頃 

雨も風も止み


浸水テントの中を拭いて眠る者あり 

テントをあきらめ砂浜のベンチで眠る者あり 

テントが破れたり折れたりして車で眠る者あり 


偶然ではあるが、コーヒーだけを飲んだ者は風邪をひき、コーヒーのあとにウインナーを食べた者は風邪をひかなかった。まるで毒薬と解毒剤みたいだ。コーヒーが毒薬じゃなくてよかった。社長が毒を盛る人じゃなくてよかった。自らが盛った同じ毒を飲んだ上でこっそり解毒剤の入ったウインナーを食べて助かるトリックを使う人じゃなくてよかった。仮にそうだとしても私が食い意地張っててよかった。そもそも解毒剤入りウインナーって何だ。腸詰に入れるな肉汁が漏れる。


翌日、霧だらけの西伊豆スカイラインに行く人は行き、帰る人は帰り、私を含め二泊する人は二泊目を過ごし、東京に帰った。

 

ー了ー