文芸ヌー

まもるべきものはなにもない。文芸ヌー。

仏事における「お骨」についての雑文(ボーフラ)

亡くなれば仏様になります

畢竟、人間は死ねば骨となります。仏様になります。現実的には、骨壺に納まりまして、墓石の下の墓室に安置される段取りとなっている訳でございます。供養というのは気持ちですから、手を合わせて故人を偲ぶという気持ち、それが最も大事な事でしょう。

実際的に差配する方にとっては、日常生活からは敷衍し難い、仏事の機微のようなものは知りたく思います。ですが我々は、この仏事を何度も経験する事はなく、時が経てば忘れてしまいます。今回、僕がエッセイという形で書かせて頂くのは、「お骨」の話でございます。「ノウハウ」ではなくて「エッセイ」ですので、一種の素人法話めいた戯言として、お耳汚しになりますがご容赦下さい。

大きな仏様です

亡父は、慢性心不全という形で昇天致しまして、病気がありながら、ある程度の骨格を維持して仏様となりました。

火葬場においては、お焼き上げを行い、収骨室で集めたお骨を遺族の前の、スチールの台(お骨の作業台といった便宜上の台)の皿の上に積み上げ、それを骨壺に賽箸で納めていく、といった儀式がありました。我々は、涙ながらにお骨を摘み、入れてゆくのですが…

このままでは蓋が閉まらない


そうです、立派な骨格の儘、亡くなった父の骨は、そのままの状態では骨壺に納まりきれなかったのでした。身長168センチ体重64キロといった程度ですが、元々骨太の体質であり、お骨の量は、思ったよりも嵩があります。若干、盛り上がって、蓋が閉まらない状態になっております。しかしそこは、火葬場の方の経験でしょう、

納まる程度までに、少しお骨を崩させて頂いても宜しいでしょうか


…もっと丁寧な表現だったと思いますが、失念致しました。とにかく、ギリギリ納まる程度までに、溢れた分だけのお骨を賽箸で崩し、隙間なく入れれば納まるのですから、我々も反対する理由もありませんし、是非そうして下さいませ、としか申し上げようがございません。

不謹慎なようで大事な事です

最終的にお骨は納まり、最後のお骨の粉の一つまみまでをも、ハケで掃き集めて入れてゆく訳でございます。お骨が骨壺に納まりきれないかも知れないという事実。「夫のちんぽが入らない」という名著がありましたが、「お骨が骨壺に入らない」という事象もまた、我々の生活の中では、決して有り得ない事ではないのです。

仏様をお納めします

七七忌、即ち49日を目安としまして、骨壺を墓室に納めるといった段取りになります。墓地があり、墓石があり、墓室があります。そのおのおのの墓石の構造によって、墓室を開けるやり方というのは違いましょうし、お寺さんによっても段取りは違うかと思います。

うちの檀那寺の場合、墓室は遺族が開けて、骨壺を納める責任がありました。49日の手配をお寺さんにすれば、墓室開陳もお寺さんが段取りもってやってくれる訳ではなかったのです。しかし男衆がいましたから、お寺さんからバール(のようなもの)をお借りして、墓室開陳は無事、行われました。

そこで気になるのが、墓室のスペースです。どれほどの空間を墓室は持っているのか。墓室を見ますと、思ったより広い。そして思ったよりも狭い。どっちだ?起きて半畳寝て一畳と申しますが、半畳以上一畳未満といった塩梅の、空間だったように思います。奥の方に、僕の祖父と祖母の骨壺が厳然と並んでおります。そこでふと思いました。

古い骨壺を詰めて置き直せば、一列に3つの骨壺が置けるのでは…


空間を見ますと、二列×2つ、つまり4つの骨壺が置ける余裕はあるのですが、奥の方まで詰めて置けば、二列×3つ、は置ける状態になりそうなのでした。そこで僕は、畏れながら墓室に体を入れて、祖父と祖母の骨壺を何とか詰めて、亡父の骨壺をその「列」に納める事はできないかと…。

無理でした。畏れの気持ちが、やはり勝ったのでした。家族、親族が立ち並ぶ前で、そのような理由でもって、骨壺を墓室に納めるといった事に時間をかける訳にはいかないのです。

墓室は当然、地面の下ですし、その穴倉のようなところで、僕が両足をついて骨壺を持って立てば、身動きも自由に取れるほどの空間はありませんので、仕方なく、亡父の骨壺は、「二列目」に鎮座させました。

墓室の空間利用

骨壺は、壺である以上、陶器であり、壺状の形状であります。新たに墓を作る事は費用がかかります。合葬や都会的な墓地等も昨今では登場してきて参ります。既存の墓地におきましては、この「墓室の空間利用」を、それぞれの家庭で、検討するのも悪くはない選択肢かと思います。

ある種の空間に物を納める時、壺状よりも直方体の方が収納効率は高まります。しかし葬式産業というのは一種の経済合理性で動いているのも事実ですから(そうでなければ、我々は前近代的な苦労を強いられなければなりません)、我々檀家の側が、あくまで個人として、「墓室の空間利用」を、考えていくべき時に差し掛かっているのではないでしょうか。

何回忌かの節目に、「プチ改葬」と言葉は軽薄ですが、骨壺の収納状況を確認するのも、決して悪い事ではないと思います。少しだけ、既存の骨壺を詰めさせて頂いて、並べ、手を合わせる。

宗派、檀那寺の別により、この手の話は全く様相が変わりますので、あくまで戯言の、エッセイとしてお納め下さいませ。

以上、くだくだしい話にもなりましたが、合唱をもって終わりとかえさせて頂きます

南無妙法蓮華経