文芸ヌー

まもるべきものはなにもない。文芸ヌー。

花じゃない 赤い鉄橋 ~自由律に散文~(xissa)

こんなところに住んでいたのか

 

外で大きな音がした。カーテンをすこしめくって外を見ると、庭に車が落ちていた。
しばらくするとインターフォンが鳴った。玄関に血まみれの男が立っていた。
上の道路から落ちたので救急車を呼ばせてほしい、と男は言った。
タオルと電話を貸し、来客用のグラスで水を出した。
男はひととおりが落ち着くと、玄関から出ていった。落ちた車の方には振り向きもせずに立っていた。しばらく暗がりを眺めていたと思うと突然振り返り、ここはよく風が通りますな、と言った。
風はすこしも吹いていなかった。

じきに男は自分の呼んだ救急車で運ばれていった。
車は翌日撤去された。
ガソリンの匂いはしばらく残った。
砕けたガラスの破片はそこここに飛び散り、いつまでもきらきら光っていた。

 

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花じゃない 赤い鉄橋 

 

 どうしてここにいるのかわからないといった風情でお伝は私を見上げる。お伝は今日、首を斬られるのだ。多分お伝はわかっていない。これまで起こってきたことも、これから起こることも。

 収監される時に泣いてあばれただけで、それ以来彼女が嘆くことはなかった。格子を揺さぶったりもしていたが、それもじきにやめた。彼女には怨恨も後悔も見えなかった。不遜なのではなく、それを知らないだけなのだ、と、しばらくして気づいた。
 その人生に策もなく、ぎゅっと眼をつぶったまま彼女は道なりに押し流される。怯え、頭を下げ、知りません、わかりませんと繰り返し、これが終わればまたどこかに流れていくつもりでいる。今までどおり、道なりに。私は彼女をひそかに恐れた。理解するのが怖かった。

 子供のような顔をして、お伝は白湯を飲んでいる。何ももたずに彼女は流れていく。お伝は何も変わらない。何もない。ただ、今日、その道が途切れるだけだ。

 

 

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ここが海の音の聞こえるぎりぎり

 

 191号線ぞいに古くさい喫茶店が貼り付いている。ドアを開けるといきなり厨房が目にはいる。フロアの左手は大きな窓で、その向こうは海だ。

 天気のいい午前中は眼が痛くなるほど青い。夕方は油のようにオレンジ色がゆるゆる流れ、嵐のあとは窓ガラスがひどいことになる。店には化粧の白いおばさんと、しょっちゅう変わるバイトの女の子が一人。女の子はどの子もむっちりと太っていた。冬にはダルマストーブが出た。コーヒーの後に緑茶を持ってくるような店だった。客はたいてい私だけで、長居しても気にしたふうもなかった。出がらした緑茶を飲みながら、おばさんがテレビの通販でバッグを買うのを聞いていた。

 ある日、店に先客がいた。そのうち、ドアを開けると嬌声が聞こえるようになった。この店は何かで紹介されたらしい。私がよく座っていた席は微妙に移動してテーブルの数が増えた。不思議なメニューが次々追加され、バイトの女の子も増えた。白いおばさんを見かけなくなった。テレビの音はもう聞こえなかった。

 久しぶりに訪れた店はさらににぎわっていた。満席です、と首の細い女の子がつっけんどんに告げ、お待ちになりますか、と赤いプラスチック椅子を目で示した。にぎやかな店内を通り越して窓を見た。窓の外は銀色に、光をはじいていた。
秋のおわりの、風のない、暑い日だった。