文芸ヌー

生活に負担のないブンガクを。 文芸ヌー

自由律に散文(xissa)

ガム吐き捨てて新年

 

店番しといてくれ、とマスターが店を飛び出してから小一時間が過ぎた。僕はひと組のカップルの相手をし、今は本を見ながらスクリュードライバーを作っている。

マスターはオークスを捕まえにいった。オークスは店のレジから金を抜き、「あとでかえします」とひらがなばかりのメモを残して二週間近く音信不通だった。彼らしき男が三角公園を歩いてる、とメールがきて、マスターの顔つきが変わった。お客の手前、口元だけは笑っていたが。

オークスは1年くらい前からふらりといるこの店のバイトだ。
カクテルは作らない。ひとりで店番の時は、マスターがいない、の一言でどんな客にもビールを飲ませていた。
何かのバンドのドラムをやっていて、メジャーデビューを狙っていると言っていた。
この店のマスターが無類の音楽好きで、音楽で食っていこうとしているという一点だけを気に入って雇ったらしい。バンドの練習日には平気で休むしそうでないときも休むし仕事らしい仕事はしないし、ろくでもないのを拾った、と愚痴っていた。
失踪前、オークスと店にふたりきりになったことがある。オークスは消費者金融で初めて金を借りた、と得意そうに話した。
こっちが借りるのに貸す方が頭を下げる、と彼はしきりに感心していた。
十万借りたらしい。何に使ったのかを尋ねると彼は腕をまくった。
すっとんきょうな顔をしたパンダが首から下げた太鼓を叩いている刺青が入っていた。
パンダの目のまわりは白かった。
金、足りなかったんすよ、とオークスは笑った。

マスターはまだ戻ってこない。
カップルと入れ替わりに新しい客が来た。酔っぱらった女が、私のイメージのカクテルを、とか言う。知るか、と思う。思いながら癖のついたところで本を開く。
バカなパンダが深々とおじぎをして、太鼓をどこどこ打ち鳴らし始めた。

 


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父が死んで二月の空が高い

 

東京タワーは高かった。
力強く天を指さす、赤い矢印だ。赤くてリベットだらけでかっこよかった。
矢印のてっぺんから見下ろすと、自動車が小指の爪くらいに見えた。
町や道路を上から見るのはたのしかった。いろいろなものがうごめいたり、またたいたりしているのが見えた。
ある日、ふいに空が見えた。矢印の上に「なにもないところ」があった。
おそるおそる手を伸ばしてみる。何もない。こうこうと風が吹いているばかりだ。
灰色の空に矢印を伸ばす夢を見た。

あたらしい塔はゆらゆら揺れながら、しずかに、空に伸びていった。
ぐんぐん高くなる様にみんなは上を見上げたが、みている空は同じじゃなかった。
塔はどこを指し示している気配もなかった。
ただ、思っていたよりはるかに、見上げた空は高かった。
気が付くと最新鋭の塔はひょろりと完成していた。

昼あんどんみたいな顔をしてスカイツリーは立っている。
威圧も鼓舞もせず、遠くに赤い矢印をながめながら所在なさげに川風に吹かれている。
ときどき少し不安になる。夜にはぼうっと光っている。