文芸ヌー

まもるべきものはなにもない。文芸ヌー。

ときめき☆デッドマンうぉ~きんぐ(天久聖一)

オーディションの帰り道、盛大についたため息が白くなった。

先週、春一番が吹いたというのに、今日は打って変わって寒の戻りで、渋谷のスクランブル交差点には、肩をすくめたコート姿が並んでいる。
信号が変わり、人の波にもまれながら対岸の渋谷駅まで流されたわたしは、そのまま電車を乗り継いで自宅の最寄り駅に漂着した。

改札は抜けたもののまっすぐ帰る気になれず、空腹を感じたことあって駅前の中華屋さんに寄った。
色あせたのれんをくぐった途端、床の油でかかとが10センチほど滑って「ひっ!」ってなった。たぶんその瞬間、すごくブスになってたと思う。

先にやるお祝いを前祝いというなら、先にやる残念会はなんて言うんだろう……なんてことを考えていたら、注文したサンラータンが運ばれてきた。甘酸っぱい匂いに唾液がこみ上げる。
オーディション前の集中ダイエットで、飢えたオオカミと化していたわたしは一気に麺をすすり上げた。――あぶぃっ!
とろみのついた熱々の麺が上唇に跳ね上がって、わたしは思わず小さく叫んだ。たぶんこのときも、ものすごくブスだったと思う。

いそいでコップの水を口に含み、冷やしたベロで上唇を舐めながら、二時間前のオーディションを思い返した。


アイドル界の帝王、冬元康プロデューサーが極秘に新しいアイドルユニットのメンバーを捜している。
そんな情報をネットで見つけたのはいまから二ヶ月前で、とは言っても、ネットで晒されてる時点で、それは極秘でもなんでもなくただそういうテイの企画だったのは間違いないのだけれど、ともあれ翌日には応募要項に沿った書類とプロフ写真の入った封筒をポストにたたき込んでいた。

ひと月後、郵便受けに一次審査の合格通知を見つけたわたしは「うぉっしゃー!」と雄叫び、うしろに肘を引くタイプのガッツポーズを取った。なんてったって一次通過自体、小学校三年のときからかれこれ十年アイドルを目指してきたわたしにとってはじめての快挙だったのだ。

それからのわたしの努力は我ながら涙ぐましかった。
持ち前のぽっちゃり体型を少しでもマシにするため、大好きなチョコレートと炭水化物は一切断ち、毎朝五キロのランニング、美肌のためにキュウリの薄切りを顔中に貼って、宅配のお兄さんに悲鳴をあげられたこともある。さらにはリラックマのぬいぐるみ相手に毎晩面接の特訓、最後は神だのみと近所の神社でお百度参りまでした。
ほんとうに、嘘いつわりなく自分史上最大の努力をもって今日に臨んだつもりだった。なのに結果は……またしても大きくついたため息が、箸先のサンラータンを揺らした。

まさかまだ面接一次の段階で、御大冬元氏が現れるとは思ってもみなかった。もうそれだけでテンパったわたしは裏返った声で自己紹介を終え、あとはただひたすらうつむいて、時がたつのを待つほかなかった。

だけど、そんな中でも隣から聞こえる澄んだ水のような声は、わたしの鼓膜に優しく響いた。そっと横目でうかがうと、わたしのひとつ前に自己紹介していた美少女が、よどみなくクラシックバレエの経歴を語っていた。

――たしか、奈緒子さんと言ったっけ。

つややかな黒髪が天使の輪をつくるロングヘア、白磁の肌にすっと鼻筋の通った横顔のラインは、羽ペンで描いた優雅な廟廚里茲Δ世辰拭�
カールしたまつげからのぞく瞳はキレイな鳶色で、ひょっとしたら外国の血が混じっているのかもしれない。

早々と、そしてまざまざと残酷な格差を見せつけられたわたしは、まるで命綱を絶たれた宇宙飛行士のように、遠ざかる光景を見守るほかなかった。
いずれにせよ、彼女の合格はわたしの不合格より間違いない。

やけ食いのサンラータンを完食し、お勘定をして店を出る。熱い汁物を食べたせいかひっきりなしに垂れてくる鼻水をすすりながら、家路についた。

どこにでもある住宅街になじみきった、築二十年の建て売り住宅がわたしの実家だ。
午後4時のいま、父は仕事、母はパート、家にいるのは兄貴だけ。中学三年から引きこもっている兄貴はもう気配すら感じさせない。

わたしは背負ったリュックをリビングのソファに投げ捨て、我慢していたトイレに向かった。
用を足して扉を閉め、右手のある洗面台に立つ。鏡に映ったわたしの顔には、わたしにしか見えない穴が空いている。

それはちょうど缶コーヒーのショート缶がすっぽり入るくらいの大きさで、左の頬に空いている。
最初に気がついたのは高校卒業後、ソフトバンクのショップで働き始めて一年くらい経った頃だった。はじめはエクボのような小さなくぼみが、次第に大きく、深くなって、半年くらいかけていまの大きさになった。

さすがに小指がすっぽり入るようになったときは、恐くて病院に行こうと思ったけれど、家族も職場の人もなにも言わないし、これはきっとわたしにだけ見える幻覚みたいなものだろうと、自分を納得させた。

ただその状態での接客はさすがにつらくて、仕事は辞めた。やっぱりストレスが原因だったのか、穴はそれ以上大きくならなかったけれど、小さくもならなかった。
ただその穴を塞ぐように、緑色の幼虫が棲みつくようになった。

幼虫はいま、わたしの顔の穴から半分ほど体を出して、ぶよぶよと透き通った体をくねらせている。

 


つづく