文芸ヌー

まもるべきものはなにもない。文芸ヌー。

短編小説「試金石」・散文詩「静かな夜」(ボーフラ・プロジェクト)

文芸ヌーをお読みの皆さん、こんにちは。ボーフラ・プロジェクト(棒振劇場)です。このたびメルマガの紙幅を頂戴致しまして、雑然としたもの、披露させて頂く次第でございます。自分の書き出し小説の冒頭を展開して、短編小説と散文詩を作りました。ではどうぞ。


短編小説「試金石」


ヤンママ・カップのトロフィーがロバートの試金石となったその日、マリーは飼い犬と共に三つ子を生んだ。マリーは洋行帰りの神父様から頂いたマリア観音を抱いていた。三つ子はするりと生まれると、天使のように微笑んだ。

ロバートはこれは自分の子供ではなくてエス様の子供ではないかと思った。それ程に三つ子は可愛かった。印象派の絵画のように常に光が射していた。そうすると飼い犬の三つ子は、エス様の子供の使徒というわけである。ヤンママ・カップではドラゴン賞だったが、人生においては優勝できるのではないか…という仄かな予感がロバートを包んだ。

しかし、マリーは三つ子を産んでから、微笑みながら沈黙を保った。只、笑っているだけなのである。何か意思を伝えるには手真似のような仕草で伝えてくる。それで気持ちが伝わってくる。五番街の買い上げのアパートメントで、赤ん坊の笑い声とマリーが乳をやる音、それから三つ子の犬の、柔和な鳴き声だけが響いていた。飼い犬の父親は何時の間にか失踪し、母犬は新しい父犬となるべき犬を連れてきていた。いぶかし気な、黒毛の犬だった。

ロバートは文字通りの錬金術師だった。古いアパートメントを買い上げて、二階・三階は住居として、一階・地下一階は錬金術の仕事場として使っていた。職人を数人雇って錬金術に明け暮れていた。王侯貴族の庇護を受け、金を作ったり溶かしたりしていた。

マリーは急に口を開いて言った。

「あなた…、気が付いて?あたしの子供はエス様の子供よ。御主の霊験いやちこに…」

いやちこ、って何?ロバートはマリーを優しく抱き寄せて問うた。

「あたしの乳を使って御覧なさい、錬金術に。いくらでも出るわ」

どういう事だい?ロバートは三つ子を抱き上げて優しく、優しく問うた。

「乳が、いくらでも出るのよ。だから黙っていたの。びっくりしちゃってね」

ロバートはそう言われて気付いた。部屋の片隅にある大きな壺、大の大人が丸々入るような壺に、マリーの母乳が満ち満ちていたのである!マリーは母乳があんまりにも出るから、それをそこに絞り出していたのだ。ロバートは嬉しそうな悲鳴をあげ、職人にその壺を仕事場に運ばせ、また新たな壺を二階に持ってこさせた。

それからロバートの挑戦が始まった。鉄、朝顔のめしべ、薔薇の油、ロードス島の塩、それに母乳を入れて煮立たせる。この組み合わせは直感のようなもの(八割方は錬金術の古典からのフューチャー)だった。通常の錬金術であれば必ず金属を溶かすのが定石だが、ロバートは、エス様のやる事だから、強い火は嫌われるだろうと思ったのだ。

一晩、それを煮立たせた。翌朝、濃霧の中、アパートメントの前で伸びをして、いちに、いちにと、体操をしていると、不寝番をしていた職人がびっくりして飛び出してきた。

「親方!金ができましたぜ!びっくりだ!」

ロバートが鍋の中を見ると、鉄の塊は、黄金の塊に変わっていた。本当に黄金かどうかを試薬で調べてみると、確かに、紛れもない金である。ロバートは絶叫して飛び跳ねた。やった、やった、やったぞ、インチキでない本当に錬金術に成功した!正直、今まではずっと溶かして固めるだけのインチキの錬金術だったけど、瓢箪から駒が出た!真実の錬金術!!

マリーに伝えようと、急いで階段を駆け上がった。

すると…エス様がマリーのところにいらっしゃっていたのだった。エス様は、マリーと三つ子の子供、三つ子の犬を、エス様の住処にお連れなさろうとしていたのだった。アーメン、ちょっと待ってくれ。これから良いところなんだ、エス様…。

光が満ち溢れた。掌から砂が落ちるように、サラサラサラという綺麗な音。ロバートは息を呑んだ。マリーもエス様も犬たちも光に満ち溢れている。混線しているのか仏法僧仏法僧という途切れがちなエコー。ロバートは十字を切って伏し拝んだ。助けてくれ、やめてくれ…。そして、エス様は、前触れなく、あっさりと天にお連れになってお帰りになった。

母犬だけが残った。父犬は黒い、ごつごつした石になった。母乳の満ち満ちた壺と、金も残った。ロバートは半狂乱となって、黒魔術の呪文を唱えながら街の外へ飛び出してしまった。ロバートの消息は杳として知れない。只、その後、郊外の森に魔法使いが棲みつくようになった、という噂だけが、不気味に囁かれた。それはロバートなのだろうか。それとも…。

残された母乳を使って、職人たちだけで錬金術を行い、ありったけの黄金を作ると、アパートメントを改築して教会を作り、マリーを聖母として祀った。残った黄金で金の聖母像を作った。マリーの聖遺物や聖母像を目当てに、多くの敬虔な教徒が訪れた。時代が下ると、紛い物の聖乳(山羊の乳にオリーブ油を混ぜたもの)や、マリーの聖髪と称する、そこいらのババアの髪などを売る者も現れた。かくして錬金術の秘儀、時代の狂濤に押し流され、その痕跡は虫や鼠ほどにも残らない。

今も残る黄金の聖母像は、霊怪奇幻の異譚を微笑みで化粧して、静かに存していた。

(参考資料:狂気とバブル,チャールズ・マッケイ)


散文詩「静かな夜」


真夜中 路地に這って苔を舐めた
何の音もしないのである

もう何日も雨が降っていない
溶けたバターは薄汚い瓶に詰められて
倉庫の奥で出荷を待っている

痩せぎすの犬が喉を震わせて
乙女の脱ぎ捨てた外套に身を捩りつけて
みじめな顔で虱を振り払う

待ち草臥れて 涕泣する守衛が
金庫の鍵を捨ててしまって
急ぎでない縫物仕事をしている

僕は それを嫌に思って
路地に這って苔を舐めた
やっぱり何の音もしないのである