文芸ヌー

生活に負担のないブンガクを。 文芸ヌー

あの日見た山の名前をボクは知っている(原田専門家)

晴れた日はここから富士山が見れるんですよ。
まるで観光地のお土産屋か旅館の女将の様な物言いで。ボクはそそくさと会計を済ませ、久しぶりに手にしたモロッコヨーグルを直ぐに食べ始めた。モロッコヨーグルがヨーグルトではないことはこの際関係なく、問題はなぜ駄菓子屋のおばちゃんが、いち通りすがりの客を捕まえて、晴れたら富士山が見えるという情報を伝えてきたかだ。確かに地理的にこの辺りの見晴らしのいい所からならば、富士山は見えるだろう。事実近くに富士見ヶ丘という駅もあり、この店先の甲州街道は調布方面までほぼ真っ直ぐで、西の方角は開けている。だからといって晴れていたら富士山が見えるという情報の必要性は感じられない。そんなことを思いながら木の匙でモロッコヨーグルを全てすくい上げ食べ終えると、店先のゴミ箱に容器と匙を投げた。
それからというもの、駅までのこの道を通る度に、ふと富士山の存在が気になっていた。晴れていればなおさらだ。しかし未だに富士山をこの辺りからみた覚えはないし、富士山を探すことに匙を投げた訳でもない。
ボクが住んでいたのはその駄菓子屋からしばらく歩いた先を路地へと入り、東京とは思えない程そこだけ緑が茂り、目の前には畑の広がる3階建てのマンションだった。夏の花火大会の時期には、ドン、ドンドンとどこかで打ち上げられている花火の音が聞こえてきていた。ベランダから探してみると方向的にどうやら調布の花火大会の様だ。その場でスマホで花火大会の日程を検索すると確かに今日は調布の花火大会の日であった。住んで2年目になるが昨年は花火の音も気づかずにいたのかとそんな気にもなった。
新宿へ出るにはいつも八幡山の駅から京王線を利用していたので、いつもの様にあの街道沿いの駄菓子屋を通り駅へと向かう。あれ以来あの駄菓子屋へは寄っていないが店をたたむこともなく営業中だ。来る客、来る客にまた晴れていたら富士山が見えると言っているのだろうと思い振り返って見るが、あの日と同じで富士山は見えない。駅に着きなんとなく富士山を探すでもなく西の方を見てみても富士山らしき山は見えない。
あの日以来ちょくちょく襲うこの富士山を見たいという欲望は日増しに強くなっていた。あの駄菓子屋のおばちゃんはそういう魔法をボクにかけたのかもしれない。いやむしろ呪いといった方が近いのかもしれない。あの時、「へぇ~」なんて言おうもんなら、店の奥から、店先から撮ったであろう富士山の写真を得意気に持ってこられていたかもしれない。しかしその場では誘水に乗らなかったが、今こうして気が付けばパソコンで「八幡山 富士山」と検索をしてる。どうやら静岡県にも同じ八幡山という地名があるらしく、そちらからは立派な富士山の画像が検索された。もちろん京王線の八幡山からの富士山の画像も何枚か出てきた。見えるのは確かなようだ。パソコンで確認できてしまうともう後戻りはできない。実物を見るまではこの衝動を抑える呪文はない。やはりあのおばちゃんは魔女だったのかもしれない。あの日食べたモロッコヨーグルは、魔女がこねた毒入りだったのだろう。そもそもなぜあの日あの場所でモロッコヨーグルのみを買って食べたのかという疑問も残るが。
冬場の渇いた空気は、空気中の水分も少なく、それに伴い空気中のチリやホコリも少なく澄んでいるから、夏場に比べて遠くの景色がはっきりと見える。そんなある冬の日、やっと八幡山から富士山を目視した。その前に、調布へ向かう途中でどうも富士山らしい山を見かけていたので、帰りに駅から再確認したのであったが。これであの魔女にかけられた魔法とも呪いともつかない呪縛から逃れることができた。見てしまえばもうなんて事はないただの事実だけがそこに残った。
マンションの2度目の更新のタイミングで引っ越す事にして荷造りをしている時、ベランダから見た調布の花火大会を思い出したり、音を聞いたなんて思いながらベランダの荷物も整理しようとベランダに立つと、4年弱住んでたのに初めてベランダから富士山を見た。
今度ここへ越してくる人へ言いたい、晴れた日はここから富士山が見えるんですよと。