文芸ヌー

まもるべきものはなにもない。文芸ヌー。

ときめき☆デッドマンうぉ~きんぐ(天久聖一)

高校を卒業して看守になったことに、深い理由はなかった。

本当は東京に出てマンガ家を目指したかった。しかし、女手ひとつで育ててもらった母にとてもそんなことは言えなかった。だからとりあえず地元から逃げるため、いったんは就職しなければならなかった。
その就職先として拘置所を選んだのは、どうせ辞めるなら後からネタになる方がいいだろうという、実にふざけた動機だった。

K拘置所は、新幹線の駅から車で四十分ほど走った山麓にあり、豊かな自然に囲まれたといえば聞こえはいいが、あからさまに世間から隔絶されていた。

実は私は看守になるまで、拘置所と刑務所の違いさえよくわかっていなかった。
拘置所とは裁判で刑が決まるまで、被告人を拘束する場であり、刑務所は刑が決まった受刑者が罪をつぐなう施設である。
だから拘置所には刑が決まる前の犯罪者が、それこそ万引き常習犯から凶悪な殺人犯まで、まんべんなくそろっていた。

ちなみに死刑囚は拘置所にしかいない。前述のように刑務所はあくまで服役の場であって、死ぬことで罪をつぐなう死刑囚はだから、ただ「その日」を拘置所で待つことになる。
私が見たはじめての死刑囚は、粗いモノクロ画像だった。

高校を卒業したばかりの新人看守に与えられた最初の仕事は、施設内の各所に設置されたカメラを通じてのモニター監視だった。
壁を埋めるモニター画面の、右下隅の小さな画面に、その男は映っていた。

独房の天井に設置された監視カメラは男を俯瞰でとらえ、粗いモノクロ画像で映る坊主頭は、小机の前に座ったままほとんど動かない。
はじめのうちこそ固唾をのんで見守っていたのものの、その変化のなさにいい加減飽き、ほかのモニターに目を移そうとしたときだった。
まるでそのタイミングを見計らうように、男がカメラを見上げた。

間接的とはいえ、はじめて死刑囚と目を合わせた私はさすがに息をのんだ。が、もちろん向こうは知るよしもない。
男は数秒間、無表情な顔をカメラに向けると、ふたたび視線を下ろし頭頂部を見せた。そのどこか小動物じみた動きが、私にはひどく不気味に思えた。男は強盗殺人犯だった。

看守になって一年目の冬、年が明けてようやく塀の中にも慣れた頃だった。死刑囚に面会があり、私が面会室まで連行することになった。面会人はキリスト教系の人権擁護団体の女性だった。

命じられた私は男のいる独房へ向かった。
その独房のあるエリアは職員の中でも、もっとも信頼の厚いベテラン看守が担当していて、到着した私がその旨を伝えると、独房の鍵を開け男を外へと出した。

毎日モニター越しで見ていた死刑囚を、直接見るのははじめてだった。
不意におこった「ときめき」のようなものに、自分でも驚いた。

私は規則通り男に両腕を上げるよう指示し、服の上から身体検査をした。私の緊張が伝わったのか、ベテラン看守が口端で笑った。
視線を合わせることはなかったが、実際に間近で見る死刑囚は色白の細面で、おもいのほか印象が薄かった。身長も170センチの私より低い。ただ服の上から触った体は筋肉質で、長い拘禁生活にも関わらず全身が引き締まっていた。鼻先に微かなワキガが漂った。

男を前に立たせ「前へ進め」と号令を掛けた。死刑囚が歩き出す。
廊下の左手には独房の鉄扉が続き、右手には鉄格子付きの窓が並んでいる。
射し込む冬の陽光は、すでに黄金色を帯びていて、その光と鉄格子の影が、歩く速度に合わせてすべるように流れ、目の前の男をフィルム映像のように見せる。

そのまましばらく歩き、一番奥の施錠扉についた。
立ち止まった男の前へ回り込み、鉄鍵を差し込みながらハンドル式のドアノブを下げる。重い扉の向こうへ男をうながし、自分も後につづく。

部屋には四つのパイプ椅子が並んでいて、入室した順から奥の椅子に座った。
後から入って来た二人も椅子に座り、いよいよ面接がはじまった。
いまだ胸の鼓動はおさまらず、ひざの上でそろえた両手をぎゅっと握りしめる。

おそるおそる視線を上げると、正面の長机には五人の審査員が座っていた。
その真ん中に見覚えのある顔があった。冬元康さんだった。
「まさかこの段階で!」と、頭の中がまっ白になりかけたけれど、なんとかもちこたえて平静をよそおう。
「じゃあ、君から自己紹介」と、最初に部屋へ入った右隣の女の子が指名された。

「はい、川上菜穂子です」

控えめだけど澄んだ水のような、美しい声が届いた。
チラリとうかがうと、その声にふさわしいまるで彫刻のような、整った横顔が目に入った。
うん、合格だな……なんて言ってる場合じゃない!予想外に短く終わった彼女の自己紹介にあわてふためきながら、背筋を伸ばす。

「ひゃい!天野まどかれす!」

自分の裏返った(しかも最後噛んだ)第一声に、私は早々と不合格を確信した。


(つづく)